地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。
わたしたちは主を知ろう、 せつに主を知ることを求めよう。 主はあしたの光のように必ず現れいで、 冬の雨のように、わたしたちに臨み、 春の雨のように地を潤される」。
主のみこころにかなった生活をして真に主を喜ばせ、あらゆる良いわざを行って実を結び、神を知る知識をいよいよ増し加えるに至ることである。
そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。
芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。
地が芽をいだし、園がまいたものを生やすように、 主なる神は義と誉とを、 もろもろの国の前に、生やされる。
神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。
天が下のすべての事には季節があり、 すべてのわざには時がある。
正しい者の道は、夜明けの光のようだ、 いよいよ輝きを増して真昼となる。
このような人は流れのほとりに植えられた木の 時が来ると実を結び、 その葉もしぼまないように、 そのなすところは皆栄える。
また主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ、更に園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた。
夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。
実がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時がきたからである」。